suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

友人の訃報

突然、電話がかかってきた。友人の訃報だった。まだ若い。子供さんもまだ学生さんだし、仕事も丁度、人生で一番脂ののる頃だ。その日の夜の教会での祈祷会はピリピ人への手紙の一章だった。「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である」のおなじみの箇所だった。さてこんなことが言えるのは生きるのがよほどつらいか(おそらく、パウロは相当厳しい人生の送り方をしていただろうけど)確信をもって神を見つめているかのどちらかだろうという事だけど、神への確信というその「神」というもの自身が自分の作り上げた「神」であってはどうもその確信の根拠がぐらついてしまう。しかし人が宣べる「神」とは多かれ少なかれそこを(つまり自分自身がつくりあげた神像)を抜け出すことは難しいんじゃないかな。