suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

毎週の礼拝

私たちはイエスの言いたかったことのほとんど何もわかっていないというところから出発すべきだと思います。しかし毎週の説教の内容はキリスト教の何たるかがよくわかっているような人間などいるはずがないにもかかわらずその事柄すらつまりよくわかっていないという事柄すらわかってい人間が聖書の内容をとらえられるはずがないのにそこから自分のあるいは注解書から引き出した自分のつくりあげたキリスト教の敷衍はもう聞き飽きました。しかし今残っている歴史上の資料からイエスの言動を再現することは数の足りていないピースでジグソーパズルを読み解くような事柄でもあるんだと思います。そこに自分で作り上げたイエス像と自家製のキリスト教を他人に押し付けることになるんでしょう。本来そのようなことは怪しげな新興宗教が犯してきた過ちであってキリスト教の中に救いを見出すな事柄がまずありきでその途中を何とか屁理屈で埋めるようなこてゃもうそろそろ辞めなくてはと思うんですがこのままでは自分流のキリスト教で人生を終えてしまいそうです。

お正月に読んだ本

それほどまとめて休めなかったけれど本を三冊と小一時間の講演会のテープをひとつ聞いた。講演会は加藤常昭さんの教会学校に行き始めたころから牧師になった時までの自叙伝的な講演で戦時中のキリスト教にとって厳しい時代のことから戦後のちょっとしたキリスト教ブームのことも含めて大変興味深かいものがありました。私自身もキリスト教の家庭に育ったんではないので初めて出会った牧師の影響はよくも悪しくも大変強烈でその位置から逃れようとしたりひきつけられるものがあったり反発したりの影響がいまだにあります。それから書物では新書版ですが青野太潮さんの「パウロ」というごく最近出た本です。このなかで贖罪と十字架に関する話が大変興味深かったです。もう少しこの辺の神学を詳しく知りたいので続いて何かこの先生の本を読もうと思います。

もう一度あの映画を

高校時代の文化祭は日曜日をはさんで二日間ありそのあと体育祭があって、そののち日曜日の代休が水曜日あたりにありました。映画の招待券が二枚ありますので一緒に行きませんかと誘われたんで喜んで映画館へとご一緒いたしました。さてその映画が「さすらいの航海」という映画です。ユダヤの人々が船で逃れていくんだけれど上陸をことごとく拒否されるという内容だったように思います。当時まだ私はキリスト教にふれておりませんでしたのでその内容から読み取れるユダヤ民族の様々な事情にまで考えが及びませんでした。ヘブライ語とギリシア語の聖書に関して少々知識を得た今日もう一度観てみたい映画です。