suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

神を許す

最近読んだキリスト教のチラシにかかれていた言葉です。これは沈黙する神に対する答えの一つの形だと思います。私たちはこの世で理解しがたい理不尽な事柄に出会います。祈りの答えが神の沈黙にしか思えないときにそれでも神を信じるというということは神を許すという行為に似ているように思います。そもそもキリストの十字架そのものが理不尽の極みでありそして神の沈黙ではないでしょうか。