suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

本日も日曜日が過ぎました

本日の礼拝。そもそも人間が神のことを語るのにその人間がどれほどの事柄を分かったつもりで話すのだろうか。人の頭脳で作られた神が神であるはずはないしその正体のずべてを理解できるはずもないにもかかわらずその正体がわかっているような体で自分の権威ではない神の権威と称して自分の権威を振りかざすことが説教であってよいはずがない。自分自身生きている間に聞く説教よりもあらゆる媒体例えば書籍等でキリスト教の事柄を読んでみてもその神学あるいは聖書学あるいはキリスト教揺籃期の物語などどの一つをとっても生きている間にその最後まで到底行きつくはずのないものに何とか食らいついて一生を終えたらまだ幸せかなぁと思うようになった。