suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

イースターの礼拝でした

私はイースターに洗礼を受けてキリスト者として生きようと覚悟を決めてもう37年になります。信仰の初期の頃より段々と現実を見つめて信仰を持てるようになった気がします。何より気をつけねばならないのは教会と自分の信仰が世間から浮世離れをしたものにならないようにという事でしょう。聖書の中の記述の矛盾等にもしっかりと目を向けてまじめに文献としても聖書を読む目を持つことを大事にしたいと思います。

春の鴨川の河原は空気がやわらかい

その日はいい天気だった。映画に行くのもいいし神社やお寺を巡ってやはり京都は情緒があるなぁというのもいいけどそんな日は鴨川をまっすぐ北へ歩くことにした。ちょうど三条大橋で河原に下りた。今は東べりもきれいに整備されて散歩にふさわしいものになったけれどやっぱり当時は西側の河原の方がいろいろと面白かった。なんといっても夏になると川ゆかを出すお料理屋さんがずらっと並んでいるし橋の下はちょっとスリルもあった。三条から出町柳までとりとめもない話をしていると本当にあっという間だった。その頃から大学のサークルは河原で練習していたし高校のブラスバンドもよく練習していた。私といえば毎日サークルがあったしまぁ授業の暇なときには御所やこの河原で本を読んだりして時間を過ごした。

サロンでした。

若い頃、韓国語を習っていたところで、たまたま私より30歳ほど年上の方と出会いました。その方はご両親が韓国から日本に来られた在日2世の方でした。さて、その方の家には様々な方が集うサロンのようでした。そしてどういう訳か私もその仲間にいれてもらいました。もう当時のその方の年を私は越えてしまったし、その方ももう数年前に亡くなりました。わたしはその葬儀にもその後の親族ばかりの集まりにもいさせてもらいました。その方はどのようにしてそんな様々の人々と知り合ったのかよく知りません。当時の京都のことですから学生もいました。大学で哲学を教えているアメリカ国籍の教授や俳句を専門に研究しているアメリカ人の教授もいました。そんな人々に交じってまだ若かった私は食事をし酒を飲みながら文化サロンのような彼の家に招待されました。私はもうそのころキリスト者でしたのでその考え方の中心にはキリスト教があったんですがそれでも様々な考え方を柔軟に受け入れることを学びましたしそのことは今でもキリスト教を学んでゆく折にわりと自由な発想でいられることにおいて役に立っているんでと思います。