suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

眼科の待合室で

ほおっておくと失明する恐れのある病気を患ってしまったのでふた月に一度ほど眼科の検診を受けて状態を確認しないといけなくなりました。これも年齢を重ねたという事でしょうか。けっこう患者さんの多い眼科なので様々な病状を抱えた方々が来られます。毎回同じ先生に診てもらうため決まった曜日に出向きます。それで出会う患者さんも毎回おなじみみたいになってきました。その中に旦那さんが目が見えなくていつも奥さんと手をつないで来られるご夫婦がいらっしゃいます。その旦那さんの非常に穏やかな話しぶりと奥様への細やかな心遣いのご夫婦につかず離れずの寄り添いに常に心温まる思いがしています。きっと旦那様が目の病気を発症されたときにはいろいろなことがあったでしょうにと今日も待合と薬局で心温まる思いをさせていただきました。

四季があるということは

春夏秋冬とメリハリのある事の良いことは思い出にその頃の気温が伴うことです。例えば「あれは何年前だっただろうか。」とその年代を思い出せなくても「そうそうあれはとても暑い日だった。」などという事と共にその季節は思い出の中にあるものです。そして私が毎年暑い季節になると思い出すのが、若くして亡くなった友人のことです。もう16年も前のことになります。まだその頃は会館で葬儀という事より家から出棺という事があったころです。映画「旅情」が好きだった彼女はイタリアが大好きで病院のベッドのわきにイタリア語の語学のテキストが置いてありました。暑い真夏の炎天下にご焼香にならび、そして出棺の折にはあれは京都独特の風習なのか私は知りませんが本人のお茶碗を地面に叩きつけて割ったときのガチャーンという音がそれさえも暑い空気の中に包まれていったようでした。

 今年同窓会の幹事の役目をおおせつかっています。そしてその返信の中に一通本人の奥様の文字で「主人は2年前に亡くなりました。」という返信が一通来ました。心の底から奥様には悲しい思いをさせてしまったと悲しくなりました。

人生の中で感動を覚える

私の世代ではテレビは物心ついた時からありましたので箱の中で人が動くとか声が出るとかいうことの体験を人生の初めから違和感なく受け入れてきました。それよりも近所の旅館のロビーで初めて見たカラーテレビにはなんと美しいことかと感動を覚えたものです。ところがそれから数十年後のテレビのデジタル放送ではそれほど感動をしませんでした。あのカラーテレビの方がよっぽど見た時の衝撃は大きかったものです。そんなわけで今の若い人たちはこの環境、例えばインターネットが整備されていて、ウォークマンよりよっぽど小さくて音質のいいヘッドフォンステレオにもそう感動なく人生に受け入れていることでしょう。さてそんな私が今回同窓会の幹事をおおせつかり、旧クラスメイトに案内状の往復はがきを投函したところ、そのどの返信よりも一番早く返事が返ってきたのがカナダにいる友人にメールで送った案内の返信だったことです。それも美しいバンフの溪谷の写真付きでした。このことは感動よりも少々の驚きでした。そしてこんな事柄も今の若者には当然のように思える時代なんだ改めてそのことに感動いたしました。