suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

あいつ今何してる

芸能人のかつての同級生が今どのような生活を送っているか番組のスタッフがそのかつての友人を捜して近況を告げさらに「当時どうだったとかああだった」とか思い出をしゃべる番組がなんとなく見ていてほのぼのと楽しい。かつての学生だった頃の自分がその後の人生を知る由もないんだけれどその後がどうであろうとかつての友情を交わしたころの思い出だけで語り合えるのは素晴らしいことだと思う。でもこんな番組はある程度年齢を経たからこそほのぼのとみることができるんだろうと思う。楽しんでみていた番組をわが娘がなんの面白みもない番組のチャンネルを変えるように断りもなくテレビを占領されてしまった。思えばこんなプログラムは究極の内輪受けだと思うんだけど見ている我々が早々人生ってそんなこともあるよなぁなどと思える共感があるんだと思う。

はしかが流行とか

関西国際空港関係者の間ではしかの感染者が出ているらしい。実は私、幼少の頃、弟、妹がはしかに罹ってうんうんうなって寝込んでいた時にも、私には感染せずこれは困ったことで大人になってからかかったんでは大変なことになると親が心配したもんです。それから数年後はしかのワクチンが開発されたというニュースが流れそれまではしかに感染していなかった私は早速行きつけの内科に連れていかれ出来立てのワクチンを打ったのです。大人になってからかかると大変つらいことになるんでワクチンで予防するのは現在では当たり前のことですが当時では「小さいうちにかかっておけ」というような世間の風潮でした。そういえば若者がアイドルにうつつを抜かして(私の場合はキャンデーズ)毎年京都会館へコンサートに行くことなどに対して大人たちは「まあ。はしかに罹ったようなものだから・・・。」などとおおらかな言葉でかわされたものです。

小鳥が道端に

はじめはスズメかなとも思いました。歩いていると、小鳥が道端で死んでいたんです。スズメではありません。羽が瑠璃色のたぶん誰かに飼われていた小鳥です。自動車にひかれたんではありません。きれいなからだのまま眠っているように道端に横たわっていたんです。それがまるで絵本の「くまとやまねこ」に出てくるくまさんが木箱に花を敷き詰めて持ち歩いていたような小鳥でした。この絵本をむかし本屋で立ち読みするたびにじんわりと目に涙がたまるんでそんなことを何度か繰り返した後「えいっ!」と購入した本です。こうして悲しみを抱えて人は生きていいんだし、それは教会に礼拝に行くときだって無理やり楽しい顔をしなくたって小鳥の小箱を抱えて悲しみを背負っていてもいいんだと思います。やがて寄り添ってくれる大切な人が現れるだろうしそれまであせることなく歩いていけばいいんだと思います。