suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

久しぶりの3人

今から30数年前私たちは教会で出会いました。みんなそれなりにまじめなキリスト者でまだ人生に希望もあったし、結構浮ついた証にも心ときめかしたものでした。当時の牧師は結構信者一人ひとりの信仰の状態にきびしくて今思えば信仰なんて一人ひとり違って当然なんですがそこを何の根拠があってのことか信仰に行動を伴うことを常に要求されました。人間に神のことなどわかるはずがないのにさらにもう一歩進めて言うと神が存在すること自体が神への問いかけの領域だと思うのだけれどそこにも神を目下に見るような牧師の信仰に何とかついて行ってあれから30数年多くの信仰の友が脱落しまじめな信仰の友が信仰から脱落していきました。そんな中で神への疑問と問いかけ自体が信仰じゃないかと洗礼を受けるときに誓った言葉すら脇に置いて教会に通うようなことでそれでも今まで信仰を持ち続けていること自体が奇跡のようなものだと自覚しています。私たちは一人は別の教会に熱心に通い私よりよほど神への確信を持っておりもう一人は宣教師となって海外にいます。優等生でない私たちに起きた奇跡です。

今年も夏を乗り切れ

中学の国語の先生はもう文学少女がそのままお年を召されたというようなおばあさん先生でした。と言っても定年が60歳だったとしたら今のわたしとそう変わらないのかもしれません。その先生からは茶道をクラブ活動で教えていただいたし、おうちに遊びに行った折には百人一首をしましょうとなんとも優雅の極みのようなことを言われて時を過ごしました。その先生がおっしゃったことで今でもよく覚えているのは暦のことで昔の人の使っていた暦では1,2,3月が春、4,5,6月が夏、7,8,9月が秋、10,11,12月が冬ですよという説明です。そしたら旧暦の6月30日は夏の終わりの日をさします。今ではこの日はこれから夏本番というのでさぁ今年も夏を元気で乗り切るぞというよな気持ちで茅の輪をくぐったりするんでしょうけれど本当はあれは「夏越の祓」なんだから今年もようやく暑い夏を乗り切ったという行事だったんじゃないでしょうか。とにかく昔は夏こそものが腐りやすかったり病気が流行ったりして多くの人が命を落としたんじゃないでしょうか。いずれにしても今年の夏も何とかほうほうのていでいいから乗り切ろうと思います。

眼科へ

本日、眼科での予約をした日で、夕方には診療に出かけました。まだ日の高いうちに受付を済ませます。まだ先生はみえていません。さて今日は半年に一度の視野検査と眼底検査の日です。この病気になって経験したこの視野検査というのは時間も長くかかり一点を見つめる時間が長いのできっとかなりの精神の集中がいるんだと思います。両目の検査を終えたころはもう「ふーっ」とため息をつきたいような状態です。それでもその後の診療で病気が進行してなかったので一安心しました。その後、瞳を開く処置をして眼底を覗かれてそれも異常なしで診療を終えました。生きている中で情報の多くが目から入ってくるので病気になったのは仕方がないにしてもうまくコントロールしていこうと思います。