suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

京都には辻子(ずし)がある

京都では抜けろうじのことを辻子といいます。ちょっとした通りの縦横にほそいろうじがあるなぁと思ったらそしてそれがどこかの通りへ抜けていたらそれが辻子です。一つ一つに「〇〇の辻子」とちゃんと名前がついています。よくとおるそんな辻子のべんがら格子の前の植木鉢に今年もロウバイが花を一輪つけました。春に向かってかちりと秒針が動いたようです。その黄色い花びらは寒風に耐えるようにきりっとしたつややかさがあってもうすぐほころびる白梅、紅梅のようなたおやかさはないんですけどそれはそれで大変気品高く、毎年楽しみな花なんです。

歌会始

私の父親は職人でした。家族には大変ぶっきらぼうなひとでよく苦虫をかみつぶしたような表情で仕事をしていました。しかしお酒を飲むことはめったになくて楽しみは書道と短歌つくりでした。他人の趣味にケチをつけることは大変失礼なことだと自覚しておりますがいかにも固い趣味だと思いませんか。自分の初めての子どもである長男のすなわち私の名前はこれまた明治と昭和の女流歌人の名から一文字ずついただいて付けられました。そんな彼は月に一度程度仕事をそそくさと片付けて「今日は歌会に行ってくる。」と出かけるんです。まあ、地元の新聞の短歌欄にはよく入選して掲載されていましたのでそんなに素人ではなかったんだと思います。そんな彼は毎年「歌会始」に応募していました。当然一度も皇居に招かれるはずもなく、歌会始の日はテレビで中継を見ながら「わしの歌のほうが上手だ。」とつぶやくのが毎年のことでした。晩年胃がんを患って入院しました。夏に入院が決まって本人もそう長くないと覚悟したんでしょうか、病院のベッドで「もし来年の歌会始に入選してもわしは行けそうにないから代わりに行ってくれ。」というんです。本当に年明けまで持たずに秋の終わりころ亡くなりました。さて新年の歌会始ですが当然入選するわけもなく私が「代わりに行く」こともありませんでした。もし万が一入選していても「代理出席」などはあり得なかったとは思いますが・・・・。

真夜中のラジオ

小学生の頃からの習慣で寝るときにいつもラジオを聞きます。イヤホンを耳にいれて小さな音で聞くのですがこの習慣がもう何年もになるので実のところラジオがないとどうも寝つきが悪いんです。そんなこともあって旅行に行くにもラジオを持っていきます。さてそこで昨日の晩のことです。夜中に「なつかしいドラマの主題歌特集」というのを放送していました。ほんとにテレビがまだ白黒だったころからのドラマの主題歌を流していました。そしてそのころ小学生から中学生くらいだったわたしはその歌のほとんどを歌うことができました。そういえばたしかに高校生を主人公にした青春ドラマでは高校ってなんて素晴らしいところなんだろうと思ってみていましたけれど実際は結構地味でまじめな高校生活を過ごしましたし「サインはV」を見てバレーボール部に入ったり「俺は男だ!」を見て剣道を始めたり「柔道一直線」で柔道を始めたりした人もきっとあったんだろうと思います。そういう私は学生時代にバックパックでアメリカに一人旅に出かけたときそしてその時が私の飛行機の初体験だったので日本を離陸するとき間違いなく「アテンションプリーズ」が頭の中を流れていました。