2017年3月のブログ記事
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私たちのサークルは体育会ほど重厚ではなかったけれど愛好会のように軟弱でもなかった。他校との試合も結構あったし、それから春と夏の合宿も結構本気だった。夏は毎年富士山の見える民宿で十日間の缶詰状態だった。(先輩たちはその状態を禁パチと呼んでいた)毎朝きれいな富士山が窓の向こうの山中湖越しに現れると京都... 続きをみる
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夕方、街ですれ違う人の中に振袖に袴姿の方やスーツ姿の方で手に私の卒業した学校のマークの付いた紙袋を下げている人を見ました。今日は卒業式だったんでしょう。私がこの学校を出たのはもう35年ほど前になります。昨日たまたま、履歴書を書くことがあってもうそんなになるんだとあらためて思い至ったものです。私の卒... 続きをみる
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ちょっとした用事で大丸に行きました。地下の食料品売り場はお中元やお歳暮の時にたびたび利用するんですが用事があってエレベーターに乗って上の階まで行ったのはほんとに何年振りかというよう出来事でした。何しろ私たちは小さいころから大丸百貨店などと呼ぶことはありませんでした。いつもかの百貨店は「大丸さん」と... 続きをみる
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むかしむかしまだ高校生の頃、国語だったか日本史だったかの先生が春の桜の咲いている頃にこんなことをおっしゃいました。「本来、日本人がほめたたえてきた桜は今咲いているソメイヨシノではなくて山桜なんだ。」と。その先生によると春の気候のもやっとしたころに春霞が似合うような「ソメイヨシノ」は昔から詩歌に詠ま... 続きをみる
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かなり以前にお借りした本をどうしましょうかと友人に尋ねられました。その方はたくさんの本があるんでちょっと整理中だそうです。私自身はその本をその方にお譲りしたつもりでいましたのでどうぞ誰か本の好きな方にお譲りくださってかまいませんよと申し上げました。さてその本というのが2冊ありまして、どちらも京都が... 続きをみる
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私たちの学生の時代にはまだ自己批判という言葉が生きていました。私の友人は確かゼミを無断欠席した時つまりゼミをさぼったとき当時のゼミの指導教官が「次週までに自己批判文を書いてくるように。」と注意されていましたしその言葉に違和感を覚えませんでした。まだ校舎のあちこちにかの独特の書体で書かれた立て看板も... 続きをみる
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