suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

神の忍耐

最近つくづく思うのだけれど、礼拝の説教においても信者の証においても神のことを語る時それが本当の神の姿かと思うんです。例えば礼拝で「神はそのようなことを望んでいません。」とか「神は喜んでおられます。」とかいう言葉をよく聞きます。さて本当の神の姿など無限の存在が有限の我々に分かろうはずはないのであってそのように神のことを分かったように言うのはそのそばで神が「おいおい私はそんなものではない。」とそれこそ忍耐をもってそばにいらっしゃるように思うのです。