suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

ユダヤ教ラビの本を読みました

神の名をみだりにとなえてはならないというのが神の言葉にあります。キリスト者はどうも神がこのように語るだとかあのように思われるだとかよく言います。このラビのおっしゃるには聖書にこのように書いてあるということは言うのだが神がこのように語るということは言わないようであります。本来神の名をみだりにとなえるとはこういう風に自分の言葉を神の言葉として語ることを言うんじゃないでしょうか。聖書から勝手に未来を想像したり神の言葉を想像したりして自分の言葉を神の言葉にしてしゃべることはこの上なく神の名をみだりにとなえていることだと思います。