suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

反面教師とは

私に洗礼を授けた牧師はもうとっくに召されてあれから25年以上も経ました。その牧師は我々に「祈りが足りない。」だとかおのれを十字架にかけて死んでいないのでイエスの十字架が無駄になっているだとかさんざん信仰についての不真面目さをよく注意されました。信仰に喜びがないなどともよく注意されました。信仰が深まって年月が経てばきっと喜びに満ちた信仰が持てるんだろうと思っていたものでした。しかしあれからずーとそんなことは起こらずそしてよくよく分かったのが信仰の深さと祈りの時間や量は関係ないということです。さらにおのれを十字架にかけておのれを殺すなんてことは全く不必要なんだと思うようになったのです。そもそも神は信仰者のそばに寄り添うものであって信仰者を監視したり査定したりはしないんじゃないかと思います。そもそも神はどうであるこうであると勝手に想像してそれを人に押し付けるのはどうかと思います・