suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

過労死という言葉

学生時代の楽しかった授業のひとつに「労働組合論」がありました。内容も新鮮で大変興味深かったし担当の先生も大変情熱的で熱い授業でした。私は年末の試験も思ったよりよくできて確か「A」をとったと思います。そんな講義の中で先生がこんなことをおっしゃったのを覚えています。「君たちはやがて社会人となって働くんだけれど8時間労働などというところままずありません。よるの11時ごろに大通りの交差点に立ってそこに建っているビルの窓を眺めてみなさい。どのビルにもこうこうと明かりがついています。みんな残業しているんです。」と。最近ことに「働き過ぎ」について報道されます。あのころから何も変わっていないでしょう。

小説ジュニアという雑誌がありました


もうずっとむかし、小説ジュニアという雑誌がありました。値段の割に分厚い雑誌でその上全編文章つまり、連載だったり読み切りだったりの小説か他は随筆や詩なんかで全てのページが埋まっていました。それでこの雑誌一冊で充分にひと月もちましたし当時のこの雑誌に載っていた小説は今思うとジュニア小説の範疇を越えて結構人生を考えるようなものがありました。さてまだ実用書や学術書なんかを読むよりは他人の書かれた素晴らしい作り話に心躍る年頃でした。それが近頃小説を読んだ後結構がっかりすることが多いのはその小説のせいでなくこちらの無駄な人生経験のせいだと思います。

シンデレラエクスプレス

ちょうど大学を出て数年経たころ日本はその数年だけ景気が良かった時期があります。後々のことを考えると日本にとってそのことが良かったのかどうかわかりませんがバブル景気と言われる頃でした。長距離恋愛という事は切なくて悲しくて思い出がいっぱい積もってゆく思いがありました。まだメールもLINEもなくもちろん携帯電話すらなくその象徴的な小道具が公衆電話を掛けるときに使うテレフォンカードでした。岡山の田舎で新幹線から乗り換えてローカル線でもう少し行ったとてものどかなところで会うのがいつものことでした。クリスマスにはプレゼントを抱えて新幹線に乗る頃にはもうすっかりシンデレラエキスプレスの気分で頭の中で山下達郎の曲がかかっていました。ある年、新幹線がちょっと先で何かの不具合があったらしくしばらくの間不通になりなした。当時のことですから駅の公衆電話に長い行列ができそのうちにテレビ局のカメラが構内の様子を撮りにきました。新幹線乗車組は結局別の在来線の寝台列車に大混雑で帰ってきました。その電車で外国の旅行者の方と話が弾みそのプレゼントを見せびらかしたりして若かったこともあってけっこう疲れることなく帰ってきました。それでも山下達郎を聴くと当時を思い出します。