suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

7月は祇園祭り

大人になってから7月8月は暑いというだけで大嫌いなほとんど生きているのが試練のような二ヶ月にしか思えません。それでも昔は7月の祇園祭はおおきなイベントでした。高校の一学期の期末試験が祇園祭の宵々山の15日に終了します。さてそこで祇園祭の宵山あるいは宵々山を二人で歩くことを計画すればその下準備としての電話やら手紙渡しやらをおのずと期末試験の真っ最中に実行しなくてはなりません。それも相手の試験準備の邪魔にならないかとか公衆電話からこの時間に電話したら迷惑なんじゃないかとか様々な事柄を心配しつつ親が出るとわかっている電話を意を決してダイヤルを回したものです。それでも断られたりすると試験中に気持ちも試験も撃沈という羽目になりさんざんの試験結果を迎えるものが私たちの仲間の年一回の恒例行事なのでした。

本日礼拝の司会でした。

教会での礼拝の司会がひと月に一度程度の割合で担当になります。一番緊張と勇気を強いられるのが司会者のお祈りです。私はその祈りが礼拝に参加されている方へのとりなしと思うようなことは多少の思い上がりのような感情があるんじゃないかと思われるのでこれっぽっちもありませんがそれでも礼拝に参加することには自分も含めて一週間の様々な事柄に飲み込まれたり溺れたりはたまた乗り越えたりしてこの場にひとりひとりが来られているんだという思いがひしひしと伝わってきて厳粛な思い出祈らずにはおられません。

紫陽花にかたつむり

かたつむりが紫陽花の花の花弁とか茎に沿って貼っているという絵をよく見ますが本当にそんな場面に出くわしたことはいまだにありません。夏の朝に朝顔とか夕立の後に風鈴とかはよく見かける光景です。それにしても私の大嫌いな夏がまたやってきます。とにかく祇園祭が始まるころから大文字の送り火までは人生の試練だと思ってこの試練を人生であと何回乗り越えなければならないのかなどと思いをはせとにかく夕方の風の中にちょこっと温度の低い場所を感じまた夜中に草むらから虫の鳴くのが聞こえるのを楽しみにただひたすら夏の通り過ぎるのを耐えるのです。