suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

京都の街は外人さんがいっぱい

お酒の一升瓶を抱えて真夏のまっぴるま、知り合いのお宅の近所で火災があったんで近火お見舞いに参りました。昨日はえらい恐いことどしたなどと一通りのごあいさつの後また炎天下を日陰を捜してぼちぼち歩いておりますとレンタサイクルでさっそうと外人さんのカップルが通り過ぎました。公園の前でスマートフォンをかざして何やら場所探しをしておられるとそのカップルの男の方が乗っておられる自転車のサドルの後ろに何や張り紙が見えます。読んでみますと「ここは私有地ですので止めないでください」と書いてあります。まさかその紙を貼った方も自転車に乗っていたのが外人さんだとはその時はわかりませんからねぇ。私は思わずその紙の文字の翻訳を申し出ようかと思ったものです。

学生街の食堂で

学校の近くには安くて量も多くて大変おいしい学生のための食堂がたくさんありました。もちろん校舎の中にも生協があってけっこう安く食事ができたんですが時間がある時やサークル終わりには友人とそんな食堂へいって腹を満たすことになります。当時そんな食堂の一軒に注文の時に名前を言っておいて料理が出来上がったらそこのおばちゃんがその名前を呼んでくれるという店がありました。次々と料理ができあって「〇〇さ~ん」とお声がかかるというシステムです。さて、そのころその食堂で一番呼ばれる名前が「田中角栄さ~ん」でした。やがてそのお店に「本名をお伝えください」という貼り紙が出現しました。

梅雨に街を歩いてみる

雨の日は靴が濡れる。それだけではなくてその雨水が靴を沁みて足を濡らす。それでなくても近頃は蒸し暑くて少しの距離を歩くのが疲れる。昔の映画のように心ウキウキと傘を振って心はスキップなんてことはこの年齢になるとそうそう世の中に落ちてはいない。つい最近まで人生の終末はひと世代ふた世代年齢の上の方々の体験だと思っていたのにとうとうわれらの世代にまで降りかかてきた。同年代が塀から足を滑らすように人生から落ちてゆく。そこに何があるのかははるか昔からちっとも解明されていない。科学の入り込む余地はなく宗教が人の心に忍び寄ってくる。塀から足を滑らすのみでなく似非宗教にも足をとられるようなことになりかねない。