suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

私たちのクラブは人気がなかった

高校生の時何を思ったのか「落語研究会」に入った。楽しくて大変頭脳優秀な先輩方がおられたし何しろ楽しそうだった。演劇をすることはちょっと恥ずかしかったんだけど落語をすることはそう抵抗なかった。それにしても上演会の時に人を集めるのは一苦労だった。ある日大変人気のある「軽音楽部」と一緒に上演会を打つことにした。当時の軽音楽部の主流はバンジョーとギターとフラットマンドリンの三人編成のカントリーだった。さて音楽が終わって出囃子と共に我々の出番になるとあまりのテンポの違いにおおくの観客があっけにとられた。それでも見ずに帰ったりされなくてまだよかった。当時は他の高校の落語研究会の生徒らに声をかけて裏寺のお寺を借りて落語会をしたこともあったなぁ。わざわざ授業が終わってからいくつかの高校に出かけて声掛けをして一応上演するまでにもって行ったんだった。誰の繋がりだったのか打ち上げのコンパと題して学期末や上演会終わりに学校近くのお寺の広間を借りて持ち寄りで飲んだり食べたりもした。

文化祭の季節

高校の文化祭は日曜日をはさんでありました。その後体育祭があってちょうど水曜日あたりに日曜日の代休がありました。日曜日に文化祭をすることのいい点は他の学校の生徒たちを招待できることです。土曜日の夕方から前夜祭なるものがありまして校舎の屋上からロープを伝って火を落としてそれで薪に着火してその周りでフォークダンスを踊るんです。そのフォークダンスの時にかかる曲が「パタパタ」という曲で最近ようやくその曲がアフリカで生まれた曲だとユーチューブで知りました。どうもその曲で踊るのが伝統だったらしく高校の3年間はずっとその曲で前夜祭でした。さてその文化祭の代休ですが平日に休みという事でスティディーがいる生徒たちは映画に行くことにします。当時の映画館は今のように一館で様々な作品を上映しているんではなくて一つの映画館で一作品でした。どうゆう訳か扉は大きなキルティングのようでえんじ色のような赤色のような重い扉でした。どうして手に入れたのか「さすらいの航海」という作品の切符を二枚手に入れたんで見に行こうという事になったんです。なんとも難しい作品でした。今、それがDVDとかになって売っていないかと思うんですが、どうでしょうね。

手紙が届きます

郵便受けにコトンと一つの手紙がはいっています。「はて、おぼえがないなぁ。」そっと封を切って中身を見てみると、緑のインクでことばが綴られています。緑のインクは別れのしるしです。はて誰が別れの手紙を出したんでしょう。見覚えのある文字は40年前のわたしのの文字です。もう、昔の自分と決別したらどうなんだと厳しい文章が並んでいます。こんなに人生の終末の方が近くなってきたのにこの期に及んでもうそろそろ生きていることの意味と生きることの苦しさを正面から考えてみようかと思いました。