suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

浅間山荘事件の番組をみて

私たちの学生の時代にはまだ自己批判という言葉が生きていました。私の友人は確かゼミを無断欠席した時つまりゼミをさぼったとき当時のゼミの指導教官が「次週までに自己批判文を書いてくるように。」と注意されていましたしその言葉に違和感を覚えませんでした。まだ校舎のあちこちにかの独特の書体で書かれた立て看板もたっていました。まだ社会をよくしようとそれぞれが個人で考えることが求められている時だったんでしょう。でも私たちより一回り上のお兄さんたちは自分で考えるという事と社会の波にのまれることのとの区別がつかなかったんだろうかとも思うし今の私は宗教という名の下で自分で考えることの放棄は絶対にしてはならないことだと思います。

35年前のブレザー

先日、礼拝の司会の番だったのでちゃんとネクタイをして教会に行きました。その時に着用していたのが学生の頃にIVY専門店で買ったブレザーでした。何しろIVYファッションには流行がないので次々と服が売れないんですよとそこの店員さんがおっしゃっていましたが全くその通りで何しろ学校の卒業式にもそのブレザーを着たんでもうそこから35年になります。フランネル生地で胸に仰々しい刺繡のエンブレムが付いています。そういえば当時ここぞというときは三つボタンのブレザーにローファーを履いてその上極め付きに教科書をブックベルトで結んで登校しました。

早春の鴨川河原を歩いてみた

まだまだ空気は冷たいんだけれど日差しが結構勢いのあるものに変わってきたので昼過ぎの一番太陽の光がまぶしい時間に鴨川の河原を自転車を押して歩いてみました。学生さんが団体で何か集団演習の練習を向こう側の河原でしています。私も今から30数年前この河原で無駄な時間を有意義に過ごしました。今思うと「無駄な時間を過ごす」のと「時間を無駄に過ごす」ことの違いがよく分かります。ある時は映画を観ての帰りその余韻に浸りながら歩いたし、また思想色の濃い映画ではその映画館の前で上映反対の街宣車がスピーカーで演説のさなか、映画を観てさらにその映画は上映前にもし上映中に妨害活動等がありましたら皆で阻止しましょうなどと言われこれは困ったことにならなければいいがと思いながら鑑賞したものもあります。その日も私は鴨川の河原をとぼとぼあるいて帰りました。結局、この世の政治に強く反対する運動をすることもなくそれでも自分の生き方には少々悩んだりして私は人生での「無駄な時間を有意義」に過ごしたのかもしれません。