suetumuhanaのブログ

日常のエッセイ

夜中に虫の音を聞く

まだまだ真昼のセミの声は元気だけれど、夜中にふと目を覚まして耳を澄ましてみるとコロコロと虫の音が聞こえる季節になりました。そういえば夕方風の中にふと秋の気配も感じるときがあります。小さな秋の気配が夏という季節の大嫌いな私にとってそれはそれはうれしいのです。よくよく注意していないと見逃したり、聞き逃したりしてしまうような季節の気配はまるで神の声が小さくてよくよく心を澄ましていなけれ聞き逃すようなものだと思います。そして私は目の前の神の声を何度か聞き逃したんだと思います。

私の友人は夏に亡くなった

人の寿命が尽きることはいつも理不尽なものだ。反対にいえば納得済みの人の死なんてものはないという事だ。おそらくその昔は冬より暑い夏の方が人が様々な病気に罹ったことだと思う。食中毒やら小さな虫たちが媒体となって流行する病気まで。そしてそのうちの何割かの人がその病気によって命を落とすことになったことだろう。そんなことに納得済みの理屈を唱える奴はきっといない。その死はいつも理不尽なものだ。そして夏の終わりにその理不尽さと現実の愛する人の死を埋め合わせるのに大きな声で泣くこともせずじっと耐える材料が必要なんだ。そんな思いで山に火を灯して現実を受け止め苦しいこの世をもう一度生きていこうと決心することが大事なんだ。今日は京都の山々に火が灯る五山の送り火。

鴨川に秋が来る

もうすぐ大文字の送り火です。鴨川の上(かみ)の方から見るとちょうど正面できれいに大の字を見ることができます。それでも河原は蒸し暑くて秋なんかまだまだ先の先にあるようです。あの雑草が生い茂っている中からコロコロと虫の声が聞こえてくるとようやく京都にも秋がやってきて人々がようやく生き返る季節になるようなという言葉が大げさでないほどに夏が大嫌いな私はあと少しの忍耐をもって生きていこうと思うのであります。その頃になると幸せな恋人同士が河原をおそろいのトレーナーで歩けるようになって人間らしい生活が戻るのです。こんな文章しか思い浮かばないほどに暑さで頭の中身がまとまらない毎日です。毎年夏が来るたびに生涯であと何度このような苦しい季節を通り過ぎるのかと憂鬱になるんです。